2024年8月8日木曜日

All backgammon lovers should come to Monte Carlo

憧れのモンテカルロ

私がバックギャモンを始めたのは20年以上前。現在のバックギャモンフェスティバル相当の大会で、当時は初級戦に優勝するとモンテカルロに派遣されることになっていたと記憶している。ルールを覚えて2週間余りで参加した初級戦で、私は3勝6敗だった。「なんだ、これなら来年はモンテカルロだな」と思ったものだ。
翌年、初級戦に優勝することはなかったが、その後もずっとモンテカルロにはいつか行きたいと思っていた。2005年から2010年まで、私はドイツに住んでいた。この好機を逃すまいと、毎年モナコ行きを画策していたが、当時は子供が生まれたばかりでそれどころでは無かった。帰国の際にやり残したと感じたのは、モンテカルロに行けなかったことと、ツール・ド・フランスを観戦できなかったことだ。とはいえ、かわいい子供とたっぷり時間を過ごすことが出来たのだから、文句は言えないのだ。
時は流れ、今年(というか私のモナコ滞在中に)息子は18歳の誕生日を迎えた。大変目出たいことだが、ふと我を振り返ると、残りの時間も少なくなってきたことを感じる日々だ。私にとって、これからなにより大事なことは、自分がやりたいことを体験することだろう。私はモナコ行きを決めた。

コンディション作り

今年の前半はツキがあったので、見た目は勝ち越していた。しかし、PRは右肩下がり(悪くなっている)だし、どうも心と体に不調を感じていた。名人リーグはプレーオフとなったが、2連敗で枠を逃してしまったし、プレイ内容も良くなかった。せっかくモナコまで行くのにこのままでは後悔すると思い、7月は自分のコンディションを改善することに専念した。
いまさらバックギャモンを猛勉強したとかではなく、主に運動して体の調子を整えた。体の調子が上がって来るに連れ、集中力が持続するように感じられ、結果的にギャモンの調子も上がったと思う。さぁ、あとは楽しむだけだ!

モンテカルロの戦績

モンテカルロでの戦いは長丁場だ。いやその前に、モンテカルロに着くまでがそもそも長い。昔は10時間ちょっとで行けたヨーロッパも、今はそうは行かない。私はドバイ経由でニースに飛んだ。およそ丸一日かかる。なんということだ。
金曜日に現地に到着し、「サムハウス」メンバーとレストランでカレーを食べた。試合は土曜日のモンテカルロオープンからスタートだ。

私のモンテカルロオープンの成績は以下の通り。
  • 1回戦 アルゼンチンのおじいちゃんプレイヤーに勝ち
  • 2回戦 ブラジルの Carlos Pinto に負け
  • コンソレ 1回戦 田端さんに勝ち
  • コンソレ 2回戦 イリーガル多めのプレイヤーに勝ち
  • コンソレ 3回戦 負け
ここまでが土曜日と日曜日の試合。まだ棋譜を入力していないので、自分の出来はどうだったか分からないが、体感としては、全然やれる相手のレベル感だな感じていた。

月曜日は、翌日から始まる世界選手権のサテライトに参加した。サテライトのトーナメントは、参加者が集まり次第順次始まっていた。ということは、どのトーナメントに入るかは重要なポイントだ。半分くらい埋まっているトーナメント表に「Akiko」の名前を見つけたわたくしは、しばらく様子を見ることにしたのでした。
サテライト1回戦はドイツ人プレイヤー。ずいぶん強い人だなーと感じていたが、それもそのはず、相手は Marcus Reinhard であったことを後に知りました。
2回戦は、私の方が強かったと思うが、仕留め損ねて DMP になってしまった。相手のスイス人プレイヤーからヘッジの提案があったので、私は了承した。そうなると結果は自ずと私の負けで、枠は取れなかったものの、この日はイーブンで終わった。

いよいよ火曜日から世界選手権が始まった。どこまで生き残れるか、毎日14時と22時に試合がある。
  • 1回戦 Shahreh Ranjbar(イラン)
    • ボードでのプレイにあまり慣れていないようだった
    • 私がリードしている時間が長く余裕で勝てそうだったが、終盤猛追され苦しかった。DMPを競り勝つ
  • 2回戦 Joseph Tissona(イスラエル)
    • 超ベテランプレイヤー
    • いわゆる「ナッスギャモン」展開で、とても消耗したが競り勝った


  • 3回戦 Olivier Décultot(フランス)
    • 事前のタレコミ情報によると、私より強いプレイヤー
    • いいところなく負けてしまう
  • 2nd chance 1回戦 David Biton(イスラエル)
    • 相手のプレイヤーが現れず、まさの不戦勝
    • 定刻を15分すぎると、5分経過するごとにペナルティポイントが1点入る
    • ペナルティが開始してから30分経過した時点で、私の勝ちをディレクターから伝えられた
  • 2nd chance 2回戦 Ofir Balali(イスラエル)
    • 自分の出来は悪かったと思うが、出目に救われて勝ち
  • 2nd chance 3回戦 Brandon Macklin(アメリカ)
    • この後 2nd chance を勝ち上がってファイナリストとなる Brandonとの対戦
    • 惜しい勝負だったとか言っても意味ないのだが、実際あと少しで勝ちそうだった 残念無念

Brandon戦

Brandon Maclin は、アメリカのプレイヤーで、USBGF の過去の会報で紹介されている。それによると、バックギャモン歴は長いものの、大会に出るようになったのは数年前から。ギャモン以外にポーカーなどもプレイするそうだ。以下に貼った YouTube動画のインタビューによるとキプロスの大会などにも出ているようだ。

私はこの試合の内容が一番気になったので、帰国後に棋譜を入力した。結果を見ると、Brandon の平均PRより出来が悪かったようで、私にも十分チャンスがあった。試合展開と共にふりかえってみたいと思う。

序盤 2点リードされたゲームで、2ポイントボードで思わず Brandon ダンス、私はすかさずダブルで当然テイク。

終盤、ギャモンのチャンスもある場面だが、日和って手が縮こまる。非常に良くない。このゲームは2点取って、スコアで追いついた。

次ゲーム。Brandon オンザバーからダブル。さっきのゲームでビビりと思われたのか? さすがにここはテイク。このゲーム負けて 2-4/11

第6ゲーム ぜひ打ってみたいキューブだが、実戦では打てず。このゲームは私が勝つが1点止まり。

9ゲーム終わって、スコアは 5-8/11 となった。ここでブレイクを申し入れ、会場をうろうろ歩き回ってリフレッシュした。苦しい形勢だがまだチャンスはあると思っていた。

ブレイクの後は風向きが変わり、「流れは完全に」と勢いに乗った。
9-8/11 とリードした第13ゲームで Brandon ダブル。

この後私の出目が加速して、マッチ勝ちまで見えてきたと思ったところで3ゾロ一閃、目が眩む。このゲームは辛くもギャモン負けを逃れたが、クロフォードゲームを勝ち切られて負け。


みんな、モナコ行こうぜっ

初めて参加したモンテカルロの大会は、一言でいえばとにかく楽しかった! 試合はそこそこ勝てたし、日本人プレイヤーも活躍したし、サムハウスメンバーとの合宿、宴会、観光も楽しかった。

ここでみなさんにひとこと言いたい。みんなモンテカルロに行った方がいいと思う。世界選手権に出ているプレイヤーのスキルレベルはまちまちで玉石混交だ。自分がただの小石であることは分かっていつつも強調したい。YouTubeで配信されるピカピカの宝石みたいなプレイヤー以外に、岩のようなプレイヤーもたくさんいるのだ(このあたりの話は飲み会で披露しようじゃないか)。日本のレベルはとても高いので、多くの人にトーナメントを勝ち上がっていくチャンスがあると思う。以下の Brandon のインタビューを見て欲しい。つまり彼の主張の受け売りなのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿